涙の質

河口龍夫

子供のころわたしは、両親から「男は泣くものではない」と躾けられた。時には言葉が反転し、「泣くのは男ではない」ともいわれて育てられた。泣くことを自制し我慢することを覚えさせられたのである。それでも涙が出るときには自分なりに理解できる理由と意味があった。

2011年3月11日、中原佑介氏の訃報を突然知らされた。中原佑介氏は芸術の海での羅針盤であり、わたしの芸術にとっての最大の理解者のひとりである。そんな大切な人を何の前触れもなく失ったのである。わたしは親の躾に反して落涙した。

そして、同じ日、わたしは完全に言葉を失い、失語状態に陥った。
失語の状態に遭遇するのは、我々の精神が制御できないような出来事や事故に、全く予期しないままに出くわしたときに発生すると言われるが、それが発生してしまったのである。このたびの地震による自然災害であり、震災をきっかけに起こってしまったある意味では人災とも言える原子力発電所の事故災害である。

3.11以後、わたしは涙もろくなったような気がする。中原氏の悲報に涙した、その涙は私自身が納得できる涙である。しかし、3.11以後に涙するのは、今までに経験したことのない涙である。つまり、自分なりに理解できる理由や意味が不明確なまま何故か泣けてくるのである。それは泣くと言う形容だけでは収まらない、涙が感情を超えてしまい自然と泣けてくるような、悲しいことだから涙したには違いないであろうが悲しいという言葉だけでは表現しつくせない涙である。その涙は、涙の質そのものがまさに変質してしまったかのような涙なのではなかろうか。

2012年2月

(2012年4月に開催されました個展「光あれ!河口龍夫―3.11以後の世界から」 いわき市立美術館 ( 福島 )で配布しましたカタログに掲載された文章です)